岐阜県(恵那市・瑞浪市)

大井宿 Ooi-juku

甚平坂の急な山坂を越えて到着する「大井宿」は、市街地であるにもかかわらず、かつて庄屋を務めた古い町屋建築が現在も残り、情緒ある雰囲気を漂わせている。本陣は書院のある壮大な建物だったが、戦後、正門と松のみを残して焼失。樹齢200年を超すこの老松も平成19(2007)年に枯死してしまった。長年、人々に親しまれてきた松であったために、惜しむ声が多く、翌年、当主によって姿かたちがよく似た2代目の松が移植された。「中山道大井宿のれんアートコンテスト実行委員会」によるのれんアートコンテストの開催や、講演会や勉強会の開催、地元小学校の課外授業などにも出向く「中山道かたりべの会」、日本橋から数えて46番目の宿場町にちなんだ「しぶろく」ブランドによる町おこし、そして明治天皇行在所の改修など「大井宿」再発見の動きも活発で、新しい魅力を生み出し続けている。

 

アクセス

公共交通機関

JR「恵那駅」下車すぐ

お車

中央自動車道「恵那IC」から約5分



見どころ

甚平坂

信濃国の根津甚平を祀った根津神社が坂の頂にある。甚平坂の名は鎌倉時代にまでさかのぼり、途中には、根津甚平とともに旅をしたとされる馬と犬を祀った馬塚と犬塚がある。

大井宿本陣跡

昭和22年(1947)に主屋が焼失し、現在は安土桃山方式の表門などの一部を残すのみとなっている。本陣正門は、その造りから江戸時代初期の建造とされ、樹齢300年を超える老松とともに当時の面影を残している。

中山道ひし屋資料館

有力な商家であった庄屋・古山家の住宅を資料館として再生し、平成12年(2000)に開館した。現存する立小野は明治初年に改築されてもので、奥の店蔵には、妻籠宿から大湫宿までの紹介と資料展示がある。


明治天皇行在所(現岩井家)

明治13年(1880)6月28日に明治天皇が宿泊された部屋、風呂場、厠が当時のまま残されている。まちかど美術館・博物館として大井宿の案内やギャラリーでの企画展示を行っている。

中山道広重美術館

歌川広重の版画を多数所蔵する美術館。「広重」と「木曽街道(中山道)」をテーマに屏風や掛け軸などを展示、毎月展示内容が変わる企画展も開催されている。浮世絵について学べる「浮世絵ナビルーム」や「浮世絵の重ね摺り体験コーナー」なども人気。オリジナルグッズや図版、図録がそろうミュージアムショップの利用も可能。



大湫宿 Ookute-juku

「大湫宿」は、東に「十三峠」、西に「琵琶峠」が控えた、のどかな山間の宿場町。商業的に観光化されたところはほとんどなく、昔のままの面影を残している。往時の姿を伝えているのが「大湫宿脇本陣」で、規模は縮小されたが文政期の面影をそのまま残している。旅籠や店は営まれていないが、建物は今も『住まい』としては現役。「往年の旅人気分で歩いてもらいたい」と、街道沿いの民家には旅籠だったころの屋号が軒先に掲げられている。なんとも粋な演出だ。

 

アクセス

公共交通機関

JR「釜戸駅」から路線バスに乗り換え「大湫」下車すぐ

お車

中央自動車道「瑞浪IC」から約25分



見どころ

十三峠と三十三観音

険しい山坂の連続する尾根道で、中山道を行き交う人馬が難渋した十三峠。道中安全を願って天保11年(1840)に観音石窟が建立された。三十三体の馬頭観音は大湫宿内の馬持ち連中と助郷に関わる近隣の村々から寄進されたもの。

丸森邸(森川訓行家住宅主屋)

旧森川訓行家住宅は、一族の中でも各々を区別するために「丸森」と呼ばれ、旅屋の他に尾州藩の許可を得て塩の専売も行い、繁盛を極めたとされている。昭和20年代まで、住居として使用されていた建物は江戸時代末期の建築と推察され、当時の旅籠商家の雰囲気をよく残している。

大湫神明神社

高さ60m・樹齢1300年の大杉がある神社として知られていたが、令和2年7月豪雨で倒木被災した。その後、地域住民や全国から寄せられた支援により、大杉の保存と再生活用がすすめられ、新たな形で生まれ変わっている。


母衣岩(ほろいわ)・烏帽子岩(えぼしいわ)

東の大岩を母衣岩(女岩)、西の大岩を烏帽子岩(男岩)、弁慶の置き忘れ岩とも夫婦岩ともいわれ、『木曽路名所図会』にも描かれた巨大な陽石。

琵琶峠の石畳

標高540m、美濃の中山道の中で最も高い峠。全長約730mの石畳は日本一長いと言われ、傍らには道標や石仏、一里塚が昔のままに残る。打出浜記、壬戌紀行、木曽路名所図会などの昔の書物にも名所・難所として描かれている。

弁天池

750㎡ほどの浅い池で、小島に天保7年(1836)に再建された石の祠が祀られている。古くから青々と澄んだ水をたたえ、睡蓮やカキツバタの花が祠を囲むように咲き、多くの旅人に愛されてきた。



細久手宿 Hosokute-juku

「細久手宿」で往時を偲ばせる建物といえば「大黒屋」だ。細久手宿内の本陣・脇本陣が手狭になり、他の領主との合宿を嫌った尾州家が、問屋役酒井吉右衛門宅を本陣として定めたのが始まり。安政6(1859)年の建築で、なんと今でも現役の旅籠。2階が1階に比べて際立って低く、数寄屋造りの座敷や箱階段なども見ることができ、国の登録有形文化財に指定されている。江戸時代と変わらぬ姿を残す風情ある「大黒屋」だが、近年は新しい取り組みとして1階入り口スペースをギャラリーとして開放するなど、宿場町の活性化にも積極的に取り組んでいる。

 

アクセス

公共交通機関

JR「瑞浪駅」から路線バスに乗り換え「細久手」下車すぐ

お車

中央自動車道「瑞浪IC」から約30分



見どころ

奥之田一里塚

奥之田の一里塚は瑞穂市内の中山道に残る、昔のままの一里塚のひとつ。鴨ノ巣、奥ノ田、八瀬沢、権現山と、当時のまま残っている一里塚が4か所も連続する例は、全国的にもひじょうに珍しい。

大黒屋

細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になり、他との合宿を嫌った領主の尾州家が、問屋役酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが大黒屋の始まり。武士や高貴な客を泊めるための創意を凝らした造りで、今も旅館として営業し宿泊することができる。

細久手の穴観音(馬頭観音)

九万九千日観音とも呼ばれて宿民や旅人から信仰を受けた石仏。1回お参りすると9万9千回分の御利益があると伝えられている。


津島神社

12世紀後半には津島社、室町時代以降は、牛頭天皇社津島様と呼ばれていた。周辺の民や旅人からは「蘇民将来」と呼んで厄病除けや交通安全の護符として信仰されている。

秋葉坂の三尊石窟

秋葉坂、あるいは西の坂と呼ばれる坂の途中にひっそりと佇む石窟。明和5年(1768)銘の三面六腎の馬頭観音、明和7年(1770)銘の千手観音都政観音と思われる観音像が祀られている。

山内嘉助屋敷跡

山道の入り口付近にある石垣は、山内嘉助の屋敷跡。江戸時代酒造業を営んでおり、中山道を通行する諸大名の休憩所として、旅する人々の一夜の宿として使われていたとされる。