岐阜県(御嵩町・美濃加茂市)

御嶽宿 Mitake-juku

昭和20年代に建築された駅舎が味わい深い名鉄御嵩駅。この駅から東へと広がるのが「御嶽宿」だ。ここは、平安時代に開創された願興寺の門前町として発展してきた。近年では、地域住民を主体にした宿場町の活性化への取り組みが進んでいて、平成22(2010)年に完成した「御嶽宿わいわい館」では、新たな特産品として定着を図っている「みたけ華ずし」を毎週火曜日に提供。住民団体「みたけ地域活性化委員会」が主体となって、平成20(2008)年からは景観修景作業に取り組み、その成果が評価され、平成23(2011)年度の国土交通省「手づくり郷土賞」を受賞するなど、宿場町の新たな賑わいづくりが進んでいる。

 

アクセス

公共交通機関

名鉄「御嵩駅」下車すぐ

お車

東海環状自動車道「可児御嵩IC」から約10分



見どころ

謡坂(うとうざか)の石畳

今日から江戸に向かう旅人は、急な坂を上る苦しさを紛らわせるために歌を歌ったことから、「謡坂(うとうざか)」と言われるようになった。現在は美しい石畳を楽しみながら歩くことができる。

耳神社

耳の病に霊験ありと伝えられる小さな社。昔から耳の悪い人がお供えしてある錐(きり)を1本借りて耳に当て、治ったらお礼に年の数の錐で編んだ簾を奉納するという珍しい習わしがあり、現在も奉納された簾が絶えることがないという。

和泉式部廟所

恋多き女性であった和泉式部は、平安時代の代表的な歌人。赴くままに身を処して東山道をたどり、この地で病に伏し現在の鬼岩温泉で湯治をするも、この場所で亡くなったと言われている。石碑には『ひとりさえ 渡れば沈むうき橋の あとなる人はしばしとどまれ』と記されている。


商家竹屋

本陣織を務める野呂家から分家し、商いを中心として代々受け継がれてきた。明治10年(1877)頃の建築で江戸時代の様式を色濃く残しており、現在は資料館として商家の造りや機能をわかりやすく見ることができる。

中山道みたけ館

1階は図書館で2階が郷土館。この地域の先史時代から現代までを歴史の流れに沿って展示・解説され、史料の中には皇女和宮通行の瓦版や隠れキリシタンに関するものなどを見ることができる。

願興寺

天台宗の寺院で山号は大寺山、通称「蟹薬師」。弘仁6年(815)、最澄(伝教大師)がこの地に布施屋(施楽院)を開創し薬師如来を祀ったのが起源とされている歴史ある古刹。現在は、本尊薬師如来をはじめとする24躰が国指定重要文化財になっている。



伏見宿 Fushimi-juku

「伏見宿」は、木曽川と可児川という水運に恵まれ、河畔の湊とともに発展してきた宿場町。そんな「伏見宿」に、文政7(1824)年、珍獣ラクダがやってくるという一大事件が起こった。このラクダ、もともと献上品としてオランダ人の手で輸入されたのだが、幕府の辞退により興行師の手に渡ったもの。江戸への興行に向けて中山道をたどる途中、一行の数名が病にかかり、しばらく「伏見宿」に滞在することになったのだ。このラクダ伝説にちなみ、新たな観光案内などを行う「伏見地区ふるさとづくり活動センターらくだ」が平成21(2009)年にオープン。「伏見宿」内にある県立東濃実業高等学校の生徒がラクダをイメージしたカレーメニューを提案し、期間限定ながら地元のカレー店で採用されるなど、宿場町の活性化に取り組んでいる。

 

アクセス

公共交通機関

名鉄「明智駅」から徒歩約15分

お車

東海環状自動車道「可児御嵩IC」から約10分



見どころ

一本松公園

樹齢200年以上の松を中心に、あずまやとトイレがある。あずまやでは、伏見宿近辺の史跡等がパネル展示されている。

ゆったり伏見宿

旧伏見郵便局舎を利用したミニ観光案内所。休憩所として多くの中山道を往来する旅人が立ち寄ります。



太田宿 Oota-juku

「太田宿」は、枡形が残る中山道に沿って、「旧太田脇本陣林家住宅」、「旧小松屋」、「旧太田本陣門」などを見ることができる木曽川沿いの宿場町で、中山道関連の展示が充実した「太田宿中山道会館」とともに江戸時代の情緒を現在に残している。ここで注目したいのが、近年、この町並みに惚れ込んだ若者たちが行っているアートイベント「きそがわ日和」。旧中山道沿いにある建物や自然を生かした新しい表現活動で、新鮮なアートを提供している。毎年、異なるプロジェクトを催し、普段とは違う町並み空間をイベント期間のみ楽しむことができる。

 

アクセス

公共交通機関

JR「美濃太田駅」から徒歩約20分

お車

東海北陸自動車道「美濃加茂IC」から約10分



見どころ

化石林公園

平成6年(1994)、木曽川河床から大規模な直立樹幹化石群(化石林)が発見され、その後整備され平成10年(1998)には化石林公園として開園。中山道の3大難所のひとつ、太田の渡しの名残や中山道の当時の石畳を見ることができる。

祐泉寺

文明6年(1474)に東陽英朝禅師が創建した「湧く泉庵」がその後、八百津大仙寺の末寺・祐川庵と改名された臨済宗妙心寺派の禅寺。境内には日本アルプス槍ヶ岳を開山した播隆上人の墓碑、日本ラインの名付け親・地理学者志賀重昂の墓碑、北原白秋、坪内逍遥の歌碑、松尾芭蕉の句碑がある。

旧小松屋

吉田家住宅。本陣や脇本陣には及ばないものの、江戸時代末期に建てられた旅籠としての外観を留めており、現在は休憩所になっている。


脇本陣林家住宅

太田宿の往時の賑わいを想像させる立派な脇本陣。東西25間の広間口で、土蔵10棟、馬屋3棟、離れ座敷などもある壮大な造り。現在は国の重要文化財に指定され、一部は無料で観覧ができる。

太田宿中山道会館

宿場町の面影を残した中山道会館は、かつて宿場町として賑わった頃のように旅で訪れた人々が一服できる憩いの場。敷地の中央には大きな榎があり、シンボルとなっている。館内には江戸時代の太田宿の町並みを再現した展示があるほか、喫茶店や地元の農産物販売所、イベント広場などがある。

日本ラインとロマンチック街道

『日本風景論』を著した地理学者・志賀重昂(しがしげたか)は、木曽川下りの際に見た風景がヨーロッパのライン川に似ているとして、この河川美を「日本ライン」と命名した。長い年月をかけて、水や風が少しずつ削り取ってできた奇岩・怪岩が数多く点在。木曽川の堤防に沿った約4kmの一本道はロマンチック街道という愛称で親しまれている。